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楷書千字文

とうとうInstagramにポストしてしまいました「千字文」。
毎日5時間はさすがに書けなかったけど、
週4位で3時間は書きました!

発端は、私の先生である上籠鈍牛先生が書いたコレ。コレ見て「超良いよコレ!ずるい!」って大騒ぎしてたら、「毎日5時間書いたら書けるようになるよ!あげるから、練習しなよ。」って練習用紙までくれた。笑

私地味作業系大好きだから、イケるわー!って思って次の日から書いてみたんだけど、めっちゃ難しい。泣
そういえば私って、筆耕の仕事とかした事ないから実用的なこのサイズの文字ってあまり書いた事ない。がーん

半紙に6文字とか、大きい紙にどーん。は、よく書くけどこのサイズの字は年末に写経する時くらい。どぎゅさんは(上籠鈍牛先生)、“賞状といえば上籠”みたいになってるし、私もこの際だから、ちゃんと練習しよう!w

みてくださいコレ。
本当に“品”がない。泣

どぎゅさんに見せたら、細い線が弱い線になってるとのこと。(ありがちぃw)細いけど強い線にするべくやることは、“ガンガン書く”ことらしいので、もう量をこなすしかない。

道具のせいにはしたくないけど、私イケてる小筆もっていなかったのでオススメを聞く。笑
どぎゅさん曰く、昔は安筆でも良かったんだけど、最近はちゃんとした筆じゃないと外れが多いと。そこでお勧めされたのが篆刻筆。

呉昌碩篆刻筆。

開くと2本筆が入っています。

この呉昌碩篆刻筆の、太い方で書くのがお勧めらしい。

…これは!
…め、めっちゃ書きやすい!!

筆を変えて、見違えるほどなんか良い感じに書けていたのに、
書けば書くほどどんどん下手になっていく時期に突入です。

私思うんですけど、何かのスキルを取得する時って
❶1番最初は好奇心ですごい集中して書くからまぁまぁ上手く出来る。
❷それから、どんどん書けなくなっていってゲシュタルトの崩壊。
❸ゲシュタルト崩壊中、何を書いているのかわからない状態までいく。
(大体の人はゲシュタルト崩壊中に嫌になってやめる事が多い気がします。)
❹それを突き進むと、あれ?なんか今良い感じキタ?カモ?ってなる。
❺諦めずに続けると、“良い感じの波”が実感に変わる。
❻その“良い感じの波”の出現率があがる。
❼うわぁ〜楽しい。

❶〜❻を何度も繰り返してやっと、❼がきます。私的に。
多分コレ、同じ事続けてる以上一生くるんだけど、
❸は俗に言う、スランプってやつな気がする。

この時はほぼ波にのれていた気がします。

質問で、写経ですか??って沢山きました。
千字文ってなんやねんのハナシなんですが、、、

千字文とは中国の梁(りょう)の時代に、武帝(在位502年~549年)が周興嗣(しゅうこうし)に命じて作らせた、文字習得のための教材です。書聖と呼ばれた能書家、王羲之(おうぎし)の筆跡を模写して作られ、書道の手本として広く利用されました。1000字の異なる漢字を使い、250の4字句からなる韻文で構成されています。
周興嗣はこの千字文を一夜で考え、武帝に献上したときには白髪になっていたという伝説が残されています。


1000字の異なる漢字を使い、4字を1句とする250個の短句。
内容は、天文、地理、政治、経済、社会、歴史、倫理などの森羅万象について。
それを一夜で考えるなんて。
地獄の所業ですね。笑

「古事記」によると日本への伝わったのは、応神天皇の時代に百済の文人である王仁(わに、和邇吉師)が「論語」十巻と「千字文」一巻を伝えたとされています。ところが、応神天皇が在位していたとされる4世紀後半は、千字文の成立時期よりも前なのです。

つまり、現在ではこの古事記の記述は歴史的に正しくないというのが定説になっています。古くから日本に漢字が伝わったことを強調するために挿入された伝説なのか、それとも、周興嗣が作った「千字文」よりも古い千文字の文章が存在し、それが日本に伝わったのか。いずれにしてもこの時期に、漢字に精通した渡来人が朝廷で書紀の役目を担うようになり、漢字の文化が日本に浸透していったことは間違いないようです。

考古学では各地から見つかる律令期から奈良時代の木簡のなかに、文字の練習や書籍の文字を書き写したものがあり、それを習書と総称しますが、この習書木簡に多く観られるのが「論語」と「千字文」だったので、漢字を学ぶ手本として比較的はやく大陸からもたらされたと考えられています。

昔ながらの文字習得のための教材って事で、
がっつり私もそれで勉強していますが
実はもらった手本、書経用紙半分ほどまでしかないので
本をGETしました。

これ。三体の千字文。

小さい字苦手すぎるけど、
まずは楷書をマスター目指そうと誓う。笑