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李白「見京兆韋參軍量移東陽」

3連休でしたね!天気も良くて20度超える日もありました♡

私はこの暖かくなってくる時期に、毎年恒例で蕁麻疹が出ます!
出るのは決まって下半身で、お尻〜太腿は本当に痒くて無我夢中でかきむしっちゃいます。本当はダメなんですけど、それどころはではなくなって頭が狂ったかのようにかきむしります。

寒暖差アレルギーか日光アレルギーなのかな?と思っていたけど、症状からするとどうやらコリン性蕁麻疹のようです。コリン性蕁麻疹は体温が上昇して汗をかくと起こる蕁麻疹のようで、気温が高くなったり、お風呂に入ったり、緊急したりしてかいた汗で激しいかゆみと痛みが起こるそうです。確かに痛い。ピリピリする。

夏は大丈夫なの?って感じですけど、夏になるとだんだんと症状はおさまってきて、次第に蕁麻疹の事さえ忘れます。(え、笑)汗の出口の汗孔っていうところが冬はほとんど閉じちゃってるから汗が皮膚にとどまって蕁麻疹が発症するらしい。確かに冬の時期、南国に行きまくっていた年はならなかった。冬に南国の割合増やさないとアカンな。笑

そして蕁麻疹の話はさておき、
3月16日にUPしたこちらの解説をしていきます⬇︎

李白、「見京兆韋参軍量移東陽」五言絶句になります。
京兆(けいちょう)の韋参軍(いさんぐん)が東陽に量移(りょうい)せらるるを見る。

出典の『唐詩選』岩波文庫版の解説によると、「韋参軍」は人物名で、参軍は地方官庁の属官という意味だけど、人物については不明だということです。その人物は何かの罪によって流罪にあい、大赦令などで罪を軽減され、まあまあ都に近い土地の役人に転任(=量移)。それが題中の東陽郡だったのだと同解説にあります。同解説によると、初めの流刑地は想像するとベトナムか広東省のあたりで、そこから東陽に帰ってきた韋に作者が会って贈った詩だということです。

潮水還歸海
流人卻到呉
相逢問愁苦
涙盡日南珠

潮水(ちょうすい)  還(めぐ)って海に帰し
流人(るにん)  却(かえ)って呉に到る
相逢(あいあ)って 愁苦(しゅうく)を問えば
涙は尽く 日南の珠(たま)

満ち潮はまわって海へ帰り
流人(韋参軍)はどうにか呉に到る
相逢って愁いや苦しみを問えば
涙は尽きて日南の真珠となる

安禄山の動乱の最中李白は、戦乱に巻き込まれることを避けて各地を転々とします。東陽(浙江省東陽県)に到ったところで、たまたま韋参軍(いさんぐん)と出会いました。彼は、はるか南の地に罪人扱いで左遷されていた役人でしたが、いくらか都に近い東陽まで移されていたのだ。逢って互いにこれまでの愁いや苦しみを語り合うと、涙は尽きて日南の真珠となった。

今までにもこういう「宮廷」と「役人」の意向の相違による流刑はたくさんありましたが、今回の作品も人間としての役人の心情が見えてくる内容です。李白自身も現役時代いろいろあった人物のようですから役人同士、境遇を慰めあっていたのでしょう。


この3連休でした事といえば、蕁麻疹と戦った事とキングダムの新刊が出ていたので、趙軍vs秦軍の最初の方から読み返しました。忘れていた事とか意外に沢山あって、思い出してそうそう!そうだった!って感じで戦の流れを把握。漫画で読むから当時の葛藤だったり、想いだったりが入ってきてぐふぅ。って涙しちゃいます。
キングダムとか三国志とかそういった漫画で身近に中華の歴史に触れていますが、その当時の役人が書いた詩や文書などを書いたり、博物館で見たりするといきなりロマンを感じますね。