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奇才!多才!天才!

前回「道外武者 御代の若餅」を紹介したいって終わったんだけど、先に歌川国芳のことから。※「道外武者 御代の若餅」は国芳の弟子である歌川芳虎が描いたものです。

歌川国芳は、寛政9(1797)年に江戸日本橋の染物屋の家に生まれて、15歳のころに初代歌川豊国(とよくに)に弟子入りしました。その後、画壇デビューを果たすけど、なかなか才能を発揮することができず、人気になるのは30歳を超えてからと意外にも下積み時代が長い絵師さんです。

人気浮世絵師になるきっかけは文政10(1827)年頃、中国の小説「水滸伝」(すいこでん)に登場するヒーローを一図ずつ武者絵として描いた「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」のシリーズでした。当時、曲亭馬琴が翻案した「傾城水滸伝」がベストセラーとなり、世の中は「水滸伝ブーム」の真っただ中。商機を狙った版元加賀屋が国芳に「水滸伝」をモチーフにした大判錦絵をまかせ、大ヒットしました。

ヒーロー達の姿は、大人から子どもまでの心をわしづかみにし、当シリーズに描かれた武将たちの刺青に憧れた江戸っ子たちの間に国芳作品の“彫り物”ブーム。

かっこいい!腹筋バッキバキじゃぁないですか。笑
刺青と体のワイルド感が何とも言えない。

そして見てコレ、やばいくないですか?江戸時代ですよ。こんな臨場感たっぷりの絵が。
武者絵・奇想の天才画家として国芳でありますが、人間的にも侠気のある親分肌でときには反骨精幕政を風刺する作品を世に送り、アイデアとユーモアと勇気を芸術・美術のパワーで発揮し対抗しました。

その一方では猫をこよなく愛するなど猫浮世絵師の顔を持つなど、その人物そのものが歌川国芳の魅力を倍増させていると実感してしまうのです。

ちなみに、ご存知かと思いますが私も猫の印を使うほどの猫好き。私が生まれたと同時に猫がやってきて、18歳まで一緒に過ごしました。猫だいすき。最近は見かけないですが、野良猫とかみつけると後を追ってしまいます。警戒心か強い子は根気がいるので、近くにお店があれば猫様の餌を買ってきたりしちゃう。今のマンションはペット不可なので飼えないけど、引っ越ししたら絶対飼いたい。猫+ブルドック+フレンチブルドックが飼いたいです♡

ちなみに(Part2)、私タトゥーを入れたいのですが、狙っているデザインはコレ⬇︎

『其のまま地口 猫飼好五十三疋』(そのまま-ぢぐち・みやうかいこう-ごじうさんひき)

日本橋から京までの東海道五十三次を猫だじゃれでやってみた、という脱力企画。まぁよく考えたものだと感心してしまいます♡ピンクを背景にした53パターンの猫たちはどれもこれも本当にかわいい! 国芳のユーモアが炸裂してますよね。この猫ちゃん達には1匹1匹ギャグ解説がついています。全部解説したいけど、私のお気に入りだけ⬇︎

日本橋(にほんばし)2本のかつおぶしをひっぱり出したところで「2本だし」

鞠子(まりこ)本物の猫ならぬかわいい「張子」の猫

岡崎(おかざき)年老いた猫はついに「おがさけ」て二股に変化

1番の推しは日本橋の子なんだけど、Instagramで日本橋の子のタトゥーいれようかなってstoriesで書いたら、わざわざDMで考え直したほうがいいです!って何通もきてびっくりしちゃった。でも絶対入れたい。小さくいれるし🙆‍♀️

しかも、歌川国芳の絵には当時存在していなかったものが描かれていたり、予知を連想させるものがあるというのです。あ〜それも紹介したい!けど!歌川芳虎の「道外武者 御代の若餅」を紹介するする詐欺で一向に紹介しそうになから、もう今ここで紹介しちゃいますね。笑

歌川芳虎『道外武者 御代の若餅』
「君が代とつきかためたり春のもち」

じゃ〜ん。こちらただの餅つきではございません。バンクシーの流れで紹介した事を察していただくとこちらも風刺画になっています。杵を振りかざしているのは木瓜の紋から織田信長、臼のところにいるのは桔梗の紋から明智光秀、となれば後ろのお猿は豊臣秀吉、そしていちばん奥で餅ができるのを待っているのが徳川家康だという。

つまり、光秀、信長、秀吉が苦労して天下を統一して、それを家康が横取りしたという意味が込められているのです。

当時は家康のことを浮世絵にするなどもってのほかで、バレたら大変なことになります。家康が秀吉の家来だったことを書いた書物が発禁になったこともありました。この絵には役所の検印が押されているので、検閲した人は風刺に気づかずに許可してしまったみたいです。

だけど江戸の人たちはすぐに意味を読み取り、この絵はよく売れました。評判になったために、発売から半日で発禁に。歌川芳虎だけではなく、浮世絵師が捕まることは珍しくなかったそうです。先人が苦労して築いたものを、徳川家康がやすやすと手に入れた経緯を風刺した絵。これは幕府に対してきわめて不遜な意思表示として、芳虎と版元は手鎖50日の刑罰を受け、さらに版木は焼却処分となったけど、ひそかに残したようです。


歌川国芳もしょっちゅう奉行所の取り調べを受けて、これは裏に意味があるだろう、そんなことはありません、と言い逃れをして何とかやっていました。みんなスレスレのところを狙って、時々、捕まったりしながら、検閲と表現の戦いを続けてきたのですね。

歌川芳虎の面白いのは、絵の中で明智光秀と信長が仲良くお餅をついているところです。この着想面白くて感心。天下餅を食べるまでに、麒麟がくるの主役「明智光秀」の存在が欠かせなかった所以を上手に表現しているように思うのです。

いきなり麒麟がくるの話。笑
麒麟がくるみてます?